調べてみた

ふと気になったことを調べたり、好きな事を発信した雑記ブログです。

忘れられた巨人を読んでみたらただのファンタジーじゃなかった。

忘れられた巨人を読んだ

 

カズオイシグロ氏の作品で読んだのはこれで2作目なんだけど、

 

まぁ~何しろ本が分厚い、小説を読むならペラペラな本を購入して読んでいた俺は、

この本とめぐり逢いそして起きる時も寝る時も肌身離さず、一緒に過ごしていた。

 

 

 

 

 

きっかけは、酷暑で出かける気にもならず・・・

 

あー、夏休み。やることねぇーってことで

 

んだ、オラ書店でも行くか。

 

という事で書店へ。

 

 やっぱり、お盆休みだねー意外と人が結構少なくて

 

まぁまぁ、客がいたね。

 

どっちやねん!

 

そこで、色々気になる本があったんだけど、その中でも目に止まったのが

東野圭吾氏のマスカレードホテルや、有川浩氏の県庁おもてなし課

村田紗耶香氏のコンビニ人間など面白そうだなぁーっていう本があったんだけど、

その中でも、カズオイシグロ氏の忘れられた巨人というタイトルを見て、

なぜかタイトルが捨てられたペットのように、巨人の事が気になってしまった。

 

マスカレード・ホテル (集英社文庫)

県庁おもてなし課 (角川文庫)

コンビニ人間

 

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

本当は人妻なエロ本を買う予定だった俺の1000円札はこうして、

有効利用されるのであった。

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ただ、手に取ってみると

 

ぶ・ぶ・ぶ・分厚い!

 

これはイケるか?イケるのか!

ちなみに、イケる=読めると思ってくれ。

エロ本のことは忘れてくれたまえ

 

 

目の網膜で信号化された分厚い本の情報は視神経を経て脳に伝達された。

 

俺の脳「君、この分厚さ読めるの?」と生意気にも語り掛けてきやがった!

 

俺様「はぁ?お前誰だと思ってんの?俺だよ?俺?読めるはずねーじゃん!」

 

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俺の脳「だよね・・・だって君積み本めっちゃあるやん・・・あれどうするの」

 

そう俺様には実は読んだ本の数よりも読んでいない本が山積していたのだった。

それは車のトランクにも有るほど。

 

俺様「あれは暇なときに読むよ・・・」

 

 

 

俺の脳「はぁぁぁぁぁぁん!はっはぁーん!いつもそればっかじゃん!」

 

俺様「うるへー!うるへー!ばーかばーか!」

 

と、俺は俺の脳にたいしてバカと揶揄する大馬鹿者であった。

そうそれは、マホカンタした仲間に回復呪文を使う行為。

ドラクエ5)

 

 と、いう訳で実は購入する予定がなかった忘れられた巨人を夏休みを利用して読破したんだけど、これただのファンタジーじゃなかった。

 

まず忘れられた巨人の大まかな物語

 

アクセルとベアトリスという二人の老夫婦が、息子に会うために旅をする話なんだけど、人々の記憶を徐々に希薄化させる謎の霧の発生、老夫婦の過去の記憶、直近の記憶さえも徐々に奪っていく。そして、息子の顔も記憶の片隅に追いやられていく。

 

人々の記憶が希薄化していくこの国で人々は何を思い、何を糧に生きているのであろうか?

 

一体、この霧の正体は何なのか!

 

そして、この霧は晴れるのか!

 

二人の老夫婦が旅するその先に息子はいるのだろうか?!

 

人々の幸せや平和とは。

 

 こんな物語。

 

 アクセルはベアトリスを「お姫様」と常に気遣い、ベアトリスは「あなた、早く息子に会いたい」と、息子との再会を強く望む。

 

そして、謎の少年との出会いや、熟練した戦士との出会い。

 

実は、呪文をぶっ放すファンタジーとは違い、民族、難民問題を題材にした作品。架空の人物アーサー王の死後の世界を背景に、ブリトン人とサクソン人という人種が共存するのだが・・・

 

 

 

カズオ・イシグロ氏の紹介の下にネタバレな感想文になっているので、この本を読んでみたいって思った人は見ないでね。

 

カズオ・イシグロ氏とは?

 

そんな忘れられた巨人は、

カズオ・イシグロ氏が前作から、およそ10年の時を経て出版した作品。

 

カズオ・イシグロ氏と言えば、日の名残りノーベル文学賞を受賞した小説家。

 

1953年生まれ:(現在63歳)

両親とも日本人、幼少期まで日本で暮らすが、その後渡英してから

イギリス国籍を取得。

 

35歳:日の名残り世界的権威があるイギリスの文学賞ブッカー賞を受賞。

 

作品:

邦題 原題 出版年 翻訳者 翻訳出版年
遠い山なみの光英語版[注 2] A Pale View of Hills 1982年 小野寺健 1984
浮世の画家英語版 An Artist of the Floating World 1986年 飛田茂雄 1988年
日の名残り The Remains of the Day 1989年 土屋政雄 1990年
充たされざる者英語版 The Unconsoled 1995年 古賀林幸 1997年
わたしたちが孤児だったころ英語版 When We Were Orphans 2000年 入江真佐子 2001年
わたしを離さないで Never Let Me Go 2005年 土屋政雄 2006年
忘れられた巨人 The Buried Giant 2015年 土屋政雄 2015年

wikipedia抜粋

 ネタバレ忘れられた巨人感想

注意:この感想は、忘れられた巨人を読んだ後、もしくは読んだことがある人が見ることをおススメします。

 

忘れられた巨人 (ハヤカワepi文庫)

 

 

 

まず、老夫婦の感想

 

 

 

主人公は老夫婦

 

アクセルとベアトリスの感想

 

個人的にベアトリスはわがままなのかなって思った。

 

 夫婦の会話はベアトリスにアクセルが振り回されている印象を受けた。

 

アクセルはベアトリスのことを終始、「お姫様」って呼ぶんだけど、記憶が薄れていく中でベアトリスを大事にしている反面、ベアトリスのわがままな部分を揶揄しているのではないか?

 

 

船で島に渡る選択に迫られる場面、躊躇するアクセル、船頭に余計なことは言うな的な態度でちょっとイラついている部分もあって、まだ二人の関係に確信が持てなかったんだろうね。

 

 

そして、わざわざリスクを冒してまで渡る必要があるのかと考えたんじゃないかな。

 

 

でも結局、島に渡る決意したアクセル、時にベアトリスが過去に男と不倫をしていた事実を「もう、そんなこと良くて?」で済ましてしまうところが、相手の心を抉っておきながら、その記憶は忘れてしまいたいと思う。都合のいい記憶は残し、都合の悪い記憶には蓋をする。

 

 

この言葉でアクセルの中にあったベアトリスへの思いを変えた。

もう傷は癒え、ベアトリスを許していたと思っていた何かが弾けた。

 

結局は船に乗らず別れの挨拶をいいベアトリスの元を去っていくアクセルを見て、

記憶というのは実に残酷なものなのかなと思ってしまった。

 

確かに、思い出さないほうがいい記憶もある。

 

でも、それが相手にも影響を及ぼしていたなら忘れたいと思うのは

ただの、わがままじゃないかい?

 

って思うんだよね。

 

ベアトリスはそんな女だった気がする。

 

 アクセルは女々しく。ベアトリスはさっぱりしている。

また、そんな風に二人の性格も垣間見えた。

 

 

ベアトリスの言う通りいつまでも過去の事と言えばその通りだが、アクセルとしたら

 

「お前がいうなぁwww」って思うよな。

 

老夫婦についてはおわり。

 

 

で、過去に争っていたこの2つの民族だけど、 

 

ブリトン人が過去に犯した大罪について

 

平和を維持して来たのになぜ

サクソン人との平和条約を破り抹殺しようとしたのか?

 

平和は長くは続かない。

 

人間は争いを好み、それが人間の本質なのかなって思った。

 

でも、科学的には人間の本質には争いはないって研究結果で出てるらしいけどね。

 

でも、俺は個体差が有ると思うんだ。

 

もちろん、好まない人間もいるがその逆も存在するわけで、

その人が権力を持ってしまったら、争いが起こるのではないか?

 

それが、ブリトン人が過去に冒したサクソン人の大量虐殺。

 

 

 

 愛よりも心の醜さや憎しみが生み出すエネルギーは巨大で、平和のために尽力し貢献してきたアクセルの平和維持活動を踏みにじるがごとく、一人の巨大な権力者によって容易に崩壊させられ、結果、民族間に断ち切ることのできない憎悪を生み出した。

 

 

エドウィンにサクソン人の復讐の炎を絶やさぬことを願うウィンストン。

 

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サクソン人が大量殺戮された過去を忘れずこの復讐を包括承継する事を望んでいるところなど、まさに戦争を知らない我々世代がネットなどの真実の見えにくい媒体によって扇動され歴史を理解しないまま曲解し、人や他国を恨むというサイクルを生み出していることを伝えたかったのだろうか?

 

 

凄く考えさせられる場面だった。

 


なぜなら、この記憶がこの物語の鍵であって実際この世の中でも記憶という部分が、

国同士の争いを助長したり、抑止したりと記憶が人類の陰陽の根幹となっている気がする。




もし、現代でも霧が発生し人々の記憶があいまいになった時、平和に暮らせるのだろうか?

 

実は今よりも人間の本能が争いという醜いもので形成されているとしたら、逆に犠牲者が増えてしまうのではないだろうか?

 

 

アクセルやベアトリス、仲睦まじく思えた家族でさえ脆い関係。

 

 

色々考えさせられる終わり方が眼光紙背に徹すという後工程な作業、物語の回顧という、とにかく個人的にはもう一度紐解きたくなる作品だった。

 

もちろん、読み手によって曖昧な終わり方に納得いかない人もいるだろう。

 

でも、自分はこういう含蓄ある終わり方が好物。

一度目と二度目では、また夫婦の捉え方や色々考え方も感じ方も変わるかもしれない。

 

悠々の時を経て、もう一度手に取ってみよう。